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《都会の中の自然》
代々木八幡宮の杜は渋谷区内では貴重な自然林として、かつての武蔵野の面影を今に伝えています。
スダジイ、クスノキ、ケヤキ、イチョウをはじめ多様な植生がみられ、また、豊富な緑に誘われて、季節ごとにさまざまな鳥や昆虫を目にすることができます。
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《代々木八幡遺跡(古代住居跡)》(区史跡 昭和52年5月26日指定)
昭和25年に発掘調査が行われ、多くの土器や石器とともに縄文時代の住居跡とその中に掘られた柱穴が発見されました。
このことから、今から約5000年前、神社のある丘陵地(標高32m)に多くの人が集まり、集落を作って暮らしていたことが想像されます。
なお、古代住居跡は復元され、また、出土品の一部は神楽殿隣の陳列館に収蔵されており、区内の小学生をはじめ多くの人が見学に訪れています。
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《大絵馬》
「神功皇后之図」(区民俗資料 平成4年10月1日指定)天保11年(1840)に奉納。
「代々木八幡宮縁起絵」(区民俗資料 平成4年10月1日指定)天保12年(1841)に奉納。
彩色、人物を主体とした構成、力強い作風などが芝居絵と共通とされ、絵馬には珍しく、
また、江戸郊外であった代々木に大絵馬が存在していることも貴重であることから、区の民俗資料として指定されました。
上:「神功皇后之図」 下:「代々木八幡宮縁起絵」
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《訣別の碑》
現在の代々木公園がある場所(代々木深町)に、かつて陸軍練兵場ができるため移住した住民が別れを惜しんで訣別の言葉を刻み奉納した燈篭。明治42年1月建設。
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《表忠碑》
明治37、38年の日露戦争の際にこの地域から出征した人達の名前を刻んだ碑。
揮毫は小笠原長生子爵。
かつての代々幡村奨兵会の手によって幡代小学校内に建立されましたが、
戦後、軍国主義の象徴として取り壊されそうになったものを、
有志の手で神社境内に移され保存されました。毎年3月23日に慰霊祭が行われています。
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《臼田亜浪の碑》
そのむかし 代々木の月の ほととぎす
臼田亜浪(うすだ あろう)。俳人。
「石楠花(しゃくなげ)」を主宰。亜浪が一時期、
代々木山谷(現在の代々木3丁目)に住んでいたことから、
会の創立20周年を記念して、石楠花同人の有志が昭和9年に建立。
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