代々木八幡宮がお祀りしている神さまは応神(おうじん)天皇=八幡=さまです。
八幡さまは古くは朝廷や武家からの崇敬をあつめ、国家鎮護、破邪顕正の神と仰がれました。
その強いご神徳から「厄除開運」の神さまとして全国で鎮守の神として祀られました。
また、応神天皇さまの時代は、大陸文化が多く渡来したことから「産業・文化の発展と守護」の神、
またお母上である神功(じんぐう)皇后さまとの神話から「安産」「子育て」「家内安全」の神として、
さらには、「怨霊退散」「渡航安全(交通安全)」の神としてもあがめられています。
鎌倉時代、二代将軍・源頼家の側近であった近藤三郎是茂(これもち)の家来で荒井外記(げき)智明(ともあきら)という方が、頼家公暗殺の後、名も宗祐(そうゆう)と改めてこの代々木野に隠遁し、主君の菩提を弔って暮らしていましたが、時に建暦2年(1212年)8月15日夜、霊夢の中で八幡大神の託宣と宝珠の鏡を感得しました。そこで同年9月23日、元八幡の地に小さな祠を建て、鶴岡八幡宮を勧請したのが創始とされています。
当社は草創以来、社僧の手によって管理されてきました。当社の別当寺であった福泉寺の文書によれば、
天保元年(1644)伝養律師という方が中興開山として天台宗に改め、次いで二世の僧が社殿、植林などの整備を行い、
三世の長秀法師の代に現在の場所へ奉遷したといわれています。これは大和国岩掛城主・山田政秀の第六女、
紀州家側室・延寿院殿が甥であった長秀法師のために社地6000坪を始めとする数々の寄進をしたことで実現しました。
明治維新以降、神仏混淆が禁止され当社は村社に列せられました。
江戸時代からの稲荷社、天神社の末社に加え、旧代々木村にあった小さな神社が合祀され、
天祖社(天照大神)と白山社(白山大神)が八幡さまの配座に祀られることになりました。
|